くびき野レールパーク 保存車両解説

◆くびき野レールパークは、通常は非公開です。

見学の方は、公開日にお越し下さい。 (公開日以外に来訪頂いても、対応致しかねます)

蒸気機関車 2号機

 

1911(明治44)年、独・コッペル社(Orenstein & Koppel Arthur Koppel AG)製

もともとは土木工事請負業者である大丸組が、品川沖埋め立て工事(東京都。現在のJR品川駅や東京総合車両センター付近)を実施する際に輸入した5両のうちの1両。工事終了後はいつくかの私鉄に売却され、この車両は流山鉄道4号機を経て頸城鉄道に入線したといわれている。

入線当時は3号機を名乗り、その後、旧2号機の売却のために番号が繰り上がり、“2代目の”2号機となった。

ディーゼル機関車導入後も運用されていたが、1966(昭和41)年5月12日の特別列車の牽引を最後に廃車となった。その後1972(昭和47)年5月から数年間、西武鉄道山口線(埼玉県)で動態保存運転が行われた後、新潟に戻った。

現在取り付けられている赤いプレート類は、山口線時代の名残である。

尚、現在は有火状態(自走できる状態)で保存されていない為、伴走するディーゼル機関車DC92の動力により走行。 ★

※体験乗車時、機関車にはご乗車いただけません

※体験乗車の列車に連結しない場合があります

ディーゼル機関車 DC92

 

1954(昭和29)年、協三工業改造

2006(平成18)年、外装復元

2007(平成19)年、動態復活

頸城鉄道には3両のディーゼル機関車が存在していたが、そのうちの1両がこのDC92である。蒸気機関車1号機の部品(足回り)を用いてディーゼル機関車に改造された。

部品流用車ではあるが、くびき野レールパーク保存車では唯一の戦後に製造された車両である。

現在は、自力での走行が可能。 ★

※体験乗車時、機関車にはご乗車いただけません

気動車 ホジ3

 

1932(昭和7)年、自社工場改造

2006(平成18)年、内外装仮復元

2012(平成24)年10月、車体および足回りを再修繕・動態復活

もともとは特別客車ホトク1(1914年、日本車輌製造。「ゲタバコ、カサタテ、タタミジキ」=“下駄箱・傘立て付き畳敷き客車”で、これは日本初のお座敷客車であるという説もある)で、これにエンジンを搭載して自走できる客車(気動車)に改造したものである。ホジ3に改造した当初は出入台の“内側”に運転席があり、運転士は2枚のガラスを通して運転するという特殊な構造であった。1951(昭和26)年にディーゼルエンジンに換装し、翌年には密閉式の車体に改造され、現在の姿となる。2012年10月に動態化。自力での走行が可能となった。

定員は三等42名(うち座席24名)。 ★

車内の様子。出入口前の箱はエンジンカバー。現役当時は荷物台として使用されていた。 ☆
車内の様子。出入口前の箱はエンジンカバー。現役当時は荷物台として使用されていた。 ☆

客車 ハ6

 

1911(明治44)年、新潟鐡工所製(諸説あります)

2006(平成18)年、外装復元

元々は魚沼鉄道で使用されていた木造二軸客車。製造時はロハ1を名乗り、2等と3等の合造車であったが、後に3等車化されハ5に改番。さらに1922(大正11)年の魚沼鉄道の国有化の際、ケハ390に改番された。

頸城鉄道への入線は1949(昭和24)年で、この際にハ6となった。1968(昭和43)年の部分廃線時まで活躍した。

尚、側窓の4枚目と5枚目の間の柱が太くなっているのは、前述の合造車の名残である。車内にもこの部分に仕切の跡が残り、ダブルルーフ部分の車内側換気口の意匠がその前後で異なっている。

同型のハ5は魚沼鉄道時代の外観に復元された上で、現在は新潟市中央区の新潟県立自然科学館に展示されている。

定員は三等20名(座席20名、立席設定なし)。 ★

車内の様子。窓や天井付近には合造車時代の仕切の跡が残っている。 ☆
車内の様子。窓や天井付近には合造車時代の仕切の跡が残っている。 ☆

荷物車 ニフ1(イメージ復元)

 

1919年(大正8年)   頸城鉄道入線
2014年(平成26年) 車体新製による外装イメージ復元

元々は青梅鉄道*の客車(三等車)で、設計は1894(明治27)年平岡工場**に遡る。青梅鉄道での形式は「か」。平岡工場1894年製の6両に加え、三田工場1897(明治30)年製の2両、二等車からの改造車1両、自社製作1両で総勢10両があった。
1908(明治41)年の青梅鉄道改軌(762→1067mm)に際し福島県の棚倉鉄道(未開業)への譲渡契約が結ばれたが、日露戦争後の不況で実現に至らず、1909年(明治42年)に資材として売却。
これらの車両は後に新潟県の栃尾鉄道と魚沼鉄道***に移動したが、魚沼鉄道分については並行する上越線延伸計画(実施1920(大正9)年)により使用に至らず、1919(大正8)年に頸城鉄道と岩手軽便鉄道へ再度売却され、このうちの2両が頸城鉄道の3等車ハ4・5となった。

車籍が無くなっていたため、頸城鉄道では入線に際し新規設計として認可を得ている。
戦前は小型車体を活かし、乗用車のエンジンで走行するガソリンカーのトレーラーとして使用されていた。1935(昭和10)年手用制動機取付。
ハ5は1952(昭和27)年、魚沼線より譲渡されたケハ371→頸城鉄道ハ5に名目上改造したこととし、車籍を譲って車体のみ百間町で物置となった。ハ4については生き永らえ、
 1950(昭和25)年、乗降扉を側戸式から引戸に変更して拡幅
 1954(昭和29)年、腰板など一部外板表面を鉄板にして簡易鋼体化
 1958(昭和33)年、座席を取り外して荷物車とし「ニフ1」になる
など度々の改造を受けたが、ここでも小型車体を活かして郵便委託輸送や手荷物・小荷物用の軽量トレーラーとなり1968(昭和43)年の部分廃線時まで活躍した。

2004(平成16)年六甲山中から引き上げの際、車体劣化が著しく輸送困難であったため一旦現地解体。レールパークでは下回りを中心とした部品を保管していた。
2014(平成26)年に再利用可能部分を用いて車体を新たに制作。「イメージ復元」したものである。

荷重4.0t。 ◆

*青梅鉄道:現在のJR東日本青梅線。1894年に立川~青梅間が762mm軌間で開業。1908年に1067mmに改軌。
**平岡工場:1890(明治23)年に東京市小石川区(当時)に鉄道車両国産化を目的として設立された鉄道車両工場。1901年汽車製造と合併し、その汽車製造も1972年に川崎重工業と合併。
***魚沼鉄道:後の国鉄魚沼線(廃止)。1911年新来迎寺〜小千谷間を762mm軌間の軽便鉄道として開業。上越線の開通により打撃を受け、1922年鉄道省買収、国有化。頸城鉄道路線出願時には競合出願者だった。

無蓋貨車 ト5


1914(大正3)年、日本車輌製。荷重5.0t。

2011(平成23)年、外装復元 ☆

有蓋貨車 ワ7

1914(大正3)年、日本車輌製。荷重5.0t。

1960(昭和35)年に、外板を鉄板張りに更新。

2011(平成23)年、外装復元 

 

有蓋貨車 ワ14

製造年・製造所不明(元魚沼鉄道ケワフ100)
2011(平成23)年、外装復元 ☆

 

ほか

※ホジ3、ハ6の定員は、設計上の定員を記載しています。各車両とも設計が非常に古く、現在の基準によって算出したものとは大幅に異なります。したがって、体験乗車時の定員はここに掲載のものよりも少なく設定しておりますのでご注意下さい。

※掲載写真はすべてイメージです。

撮影:★…M. Okazaki ☆…R. Nagoya ◆…来場者様ご提供

※くびき野レールパーク以外で保存・保管されている頸城鉄道の車両についてのお問い合わせやご質問については、当方ではお答えできません。ご了承ください。

 

参考文献

・RM LIBRARY「頸城鉄道」 (梅村正明/ネコ・パブリッシング刊)

・新 消えた轍(上信越編) (寺田裕一/ネコ・パブリッシング刊)

・鉄道ダイヤ情報2005年8月号 P.42-49(交通新聞社刊)

・私鉄紀行 北陸道 点と線 <上> (湯口徹/プレスアイゼンバーン刊)

・日本国有鉄道100年史 (日本国有鉄道/日本国有鉄道刊)

・鉄道省文書

・青梅鐵道株式會社営業報告

・青梅鐵道株式會社 自明治三十年 至仝四十年 車輌ニ関スル書類

 

2014. 8.14更新